武田八幡は甲州武田発祥の地とされるほどの場所で、武家である武田家から長く信仰されてきた由緒ある神社。
かの有名な戦国武将である武田信虎と信玄が再建したとされる建造物や、武田家の初代当主から脈々と信仰されてきた神様を実際に参拝することができるので、歴史好きにはたまらない神社です。
本ページでは武田八幡宮の御利益・御朱印・参拝レポートを画像付きでご紹介いたします。
武田家の初代当主である武田信義が、強く慕った人物を祭った神社にも触れていきますので最後までお見逃しなく。
この記事の要点をサッと見る
【武田八幡宮】参拝時間・アクセス・駐車場情報ほか
参拝時間 | 24時間 |
混雑状況 | なし |
バリアフリー | なし |
公式サイト | 武田八幡宮 |
住所 | 〒407-0042 山梨県韮崎市神山町北宮地1185 |
電話番号 | 080-1008-5538(お祭りなどの問い合わせのみ) |
アクセス | 車 韮崎I.Cより15分 |
御朱印・お守り
御朱印 | 300円 |
お札・お守り | 500円 |
おみくじ | 100円 |
駐車場(約20台)
武田八幡宮の駐車場は、当神社の入り口左側にあります。
武田八幡宮とは
読み方: たけだはちまんぐう
武田八幡宮は、大分県の「宇佐神宮(うさじんぐう)」と京都府にある「石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)から分けてもらった神様がお祭りされている神社。
名前の由来は、日本武尊(やまとたける)の息子である王子「武田王」が屋敷を構えていたことで、当神社周辺の地域名が武田になっていたことから「武田八幡宮」と名付けられたとのこと。
武田の初代当主である「武田信義(たけだのぶよし)」の時代からは、武田家の神様として信仰されるようになり、武田信虎と武田信玄においては、神社の再建に尽力されたと言われています。
武田王は当神社で武田武大神として祭られており、亡骸は徒歩5分ほどの場所ある「わに塚」に埋められているとされています。
お祭りされている神様
武田八幡宮には、
- 誉田別命(ほむだわけのみこと)
- 足仲津彦命(たらしなかつひこのみこと)
- 息長足姫命(おきなかたらしひめのみこと)
といった神様が祭られており、これらの神様は合わせて「八幡神(はちまんしん)」と呼ばれています。
武田武大神も祭られていますが、御利益などの詳細は不明。
【武田八幡宮】八幡神の御利益
- 武運長久
- 必勝祈願
- 出世開運
- 商売繁盛
- 子宝成就
- 子孫繁栄など
*八幡神は合わさる神様によって御利益に違いが出るので、上記の御利益が全ての八幡神にそなわっているわけではありません。
お祭り
- 信玄公祭り 4月上旬
- 祈年祭 4月3日
- 例大祭 10月(14日に近い日曜日)
- 新嘗祭 11月26日
など
拝殿には武運の神様『八幡神』が鎮座
武田八幡宮の拝殿には八幡神が祭られています。
八幡神は「武運長久」や「必勝祈願」に強い御利益があることから、全国の武家・武将に「武運の神様(武神)」として厚く信仰されてきた神様です。
武田家においては、当神社の拝殿に祭られた八幡神がメインの神様ですから、武田家の歴代当主がここで手を合わせてきたことは間違いありません。
現在では戦などがないため、武運長久を祈ることはなかなかありませんが、必勝祈願は様々な人に最適な御利益ですので、受験や試合、商談などの大事な勝負時の前にはしっかりとお参りし、武田家の戦果に匹敵するような強い御利益を授けてもらいましょう!
武田信虎と信玄が再建した本殿(重要文化財)
拝殿のわきから目にすることができる本殿は、450年以上前に武田信虎とその息子である信玄が再建したもので、現在は重要文化財に指定されています。
残念ながら柵があるため近づくことはできませんが、平安時代前期の建物から影響を受けたとされる造りで、歴史家から見ても大変興味深いとのこと。
木の風合いだけでも歴史の深さが感じられるので、素人の目から見ても素晴らしい。信虎や信玄ファンはもちろんですが、建造物が好きな人にもたまらない魅力があるでしょう。
武田信義が創建した為朝神社
武田八幡宮の拝殿から左に50mほど歩いたところには、武田家の初代当主である武田信義(たけだのぶよし)が1185年に創建した「為朝神社(ためともじんじゃ)」があります。
お祭りされているのは、平安時代末期の武将である「源為朝(みなもとのためとも)」の木造で、大きさはなんと2m以上。
しかも驚くことに、この木造は源為朝の等身大とのこと。武将であるためか妙なプレッシャーを感じます。
元々は疫病(えきびょう)である天然痘(てんねんとう)を抑える力があるとしてお祭りされていましたが、明治維新後に天然痘の予防接種が全国的にされてからは、お参りする人がいなくなったと言われています。
武田信義が為朝神社を創設した理由には、
- 剛勇無双と言われるほどの武将であった源為朝を武田信義が慕っていたため神社を創設した
- 源為朝が戦に敗れた際に武田信義がこの場所でかくまっていた
といった説があります。
為朝神社のお祭り
- 為朝神社例祭 4月3日
武田八幡宮参拝後はお守りや御朱印を授かりに社務所へ
拝殿と為朝神社を参拝したあとは、境内のすぐ左手にある社務所へ向かい、お守りや御朱印などを授かりに行きましょう。
拝殿に祭られた八幡神の御利益を授かれるよう多くのお守りを取り扱っています。
おみくじと御朱印は、社務所の柱に備え付けてあります。
社務所が開いていない夜間でも気軽に利用することができます。
御朱印には武田のトレードマークである武田菱(たけだびし)の赤い版が押し当てられています。
武将を思わせる力強い文字も◎。参拝の記念にはもってこいの御朱印ですね。
武田八幡宮境内のほこらや建物など
武田八幡宮の境内に他にも建物やほこらが存在しています。
神楽殿
神楽殿は境内の神社入り口と拝殿の真ん中に位置しています。10月に行われる例大祭では実際に舞が披露されています。
瑞神門(ずいしんもん)
瑞神門は社務所の目の前にある建造物で、見た目からかなりの年月が経過していることがわかります。
一石百観音石像(いっせきひゃくかんのんせきぞう)
一石百観音石像は、国の平和と安全を祈願してた造られた石像です。
一番上には阿弥陀三尊(あみださんぞん)の梵字が刻まれており、その下には坂東三十三観音、西国三十三観音、秩父三十四観音の、計100体の観音様が掘られています。
10月は武田八幡宮例大祭が開催
武田八幡宮では、毎年の10月(14日に近い日曜日)に武田八幡宮例大祭が行われています。
当日は神楽殿での舞の披露や、子供たちによる神輿の練り歩きなどのイベントが開催されます。
【武田八幡】Googleローカルの評判・口コミ
階段を見上げると、圧倒的な存在感。
一段一段、一歩一歩上がって行くと、空気感が変わっていくのが解ります。
韮崎駅からは徒歩1時間ほどの小高い場所。武田氏滅亡に想いを馳せる神社。
石鳥居はかなりの年代物で、薄っすら朱塗りされていた跡が見える。賽銭箱がある門を避けて登っていくと能舞台あり。さらにその上には一般参詣できないが非常に立派な奥の院がチラリと見える。
訪問日が冬のため、餌を求めて降りてきた野生の猿が境内にちらほら。夏場なら熊もでるかも。大きな駐車場と水洗トイレあり。
山梨にも由緒正しい寺社仏閣有れどいざ建築物となるとどれもこれも新しいものばかり。
そーゆー意味ではここは見るべきものが沢山。
もっと整備して欲しい素晴らしいところ。
まとめ
武田八幡宮は、武田家との縁がとても深い神社です。
歴代の武田家当主が当神社を信仰してきており、本殿には戦国時代で知られる武田信虎と信玄の親子2人が再建に関わっているほど。
拝殿に祭られている八幡神は、武運の神様として祭られたものですが、必勝祈願などの御利益もあるので、一般の私たちが行ってもしっかりと手を合わせてお祈りすることができます。
また、境内の離れた場所にある為朝神社は、武田信義が創建した貴重な神社であり、他の神社では見ることができない、武田信義が慕った源為朝の木造が祭られた神社なので、歴史好きや武田家のファンは必見。
武田八幡宮は、武田家の息吹を感じる魅力的な神社ですので、ぜひ一度参拝してください!